左から柱谷哲二、三浦知良、高木琢也【※写真は1993~94年のもの】

写真 :Getty Images

遠い日の記憶 アジアカップへ向けて

Writer佐藤文孝

それでも青いユニフォームに身を包んだ選手たちは眩い輝きを放ち続けていたことに変わりはない。中心選手として36歳(当時)のラモス瑠偉が攻守において絶対的な存在であり、中山雅史が「スーパーサブ」として攻撃の切り札であることもこの大会を通して知る。そしてアジアカップグループリーグ最終イラン戦、試合終了間際のカズのゴールこそ、日本サッカー界が国際舞台へと躍り出る、高らかな号砲が鳴り響いた瞬間だったと今なお信じて止まない。

あのカズのゴールから時が経ち、現在の日本サッカーは世界各国と渡り合えるまでに成長を続けてきた。日本代表は「サムライ」と呼ばれるようになり、すでにメンバーは全員が自分より年下ばかりになった。

初めて日本代表の存在を知るきっかけとなった広島アジアカップ。十代だった自分が受けた鮮烈な衝撃を再び感じるほどの、記憶に刻み込まれる戦いを来年1月のUAEでも期待したい。
サッカー・日本代表の歩みは止まらない。

3/3 ページ


関連記事

申し訳ございませんが、
関連する記事が見つかりませんでした。